「レクイエムでない、別の唄を

◇この小説は実際の歴史と異なっている部分があります。あくまでパラレルワールドだということ
を承知した上で読んで頂けるとありがたいです。


1,港町ガルフェラン

夕闇が世界を支配し、その光景は人の目に触れることさえなかったが

水や空気はそれぞれに、美しい姿をとり、互いの美を競い合い、一方で分け与え合った
しんしんと音を立てて上品に雪が降ると、地面を白く化粧され、その美しさに、大気は嫉妬するのだ
嫉妬した彼女は自らの温度を、地面の温度を共に下げ、妬むかの様に、冷たくするのだった
それらの営みは自然現象と呼ばれ、互いに密接に関係し、世界の何処でも起こるのであるが
一人のある男はそれを常に新鮮に受け止め、彼らと対話し、命を創り出すことが出来た
港町ガルフェランと小都市トルクスの間の、静かな森
その男、弁護士ヴェルフ=コールマンは二人の供を連れ、テントを張り、夜明けを待っていた
二人の供の名は、メル=クライドルに、フォロア=ウォルフ、どちらも女の子である
メルは見かけ五歳ほど、紅い服を着て、冷たい感じと神秘性を併せ持っていた
彼女はヴェルフの友人の子で、今では養女として、ヴェルフの家族になっていた
フォロアは実の両親に売り飛ばされ、奴隷として使われていたところをヴェルフに救われた経歴を持つ
今ではヴェルフの弟子として、ヴェルフを親以上に慕い、常にヴェルフの側にあるフォロアだった
二人は実の姉妹以上に仲が良く、ヴェルフに良くなついていたから、旅は苦にならなかった
今は二人より沿い、テントの中で、静かに寝息を立てていた
寝返りをうったフォロアが、ライザという名前を口にし、微笑んだ

先日、とある町で魔女裁判を叩きつぶし、ヴェルフはライザ=クロイツェンという女性を助けた
彼女はヴェルフ達に同行していたが、トルクスに逃れていた両親と再会し、そこで暮らすことになった
ライザとフォロアは仲良くなり、再会を約束していた様だったが、さてまた会えるのは何時の日の事か
そんな事を思い出しながら、ヴェルフはテントの外で、眠っている馬に寄りかかり
素手にナイフを持って、何か木片を彫っていた、時々白い息が口から漏れた
小一時間ほど時間が経ち、作業が進むと、歪だった木片は何らかの形を成してきた
更に少しして、膝の上にたまった木屑をヴェルフが払ったときには、木片は怪物の像になっていた
それは鷲の頭を持ち、ライオンの胴と翼を持つ、有名な怪物グリフォンであった
即興で作ったとは思えない見事で精巧な出来であり、美術商に売れば捨て値でも銀貨五百枚にはなろう
ヴェルフが立ち上がると頭や肩から雪が落ち、そして掌の怪物が動いた
翼を広げ、怪奇な鳴き声を上げ、そして首を捻ってヴェルフを見た
「さあ、約束通り連れてきてやったぞ、帰るがいい」
ヴェルフの言葉を受けると、グリフォンは掌を飛び立った
一瞬ごとにその姿は大きくなり、牛ほどの大きさになると、次の瞬間異国風の服を着た青年になった
青年は振り返り、手を振ると、雪雲の中に消えていった

・・・先日、ほぼ二日前の体験は、フォロア=ウォルフにとって忘れ得ぬ人生経験となった
ヴェルフの圧倒的な力を再度見せられ、教会の腐敗と人間の本性を改めて見せられ
自らは集団との戦いを経験し、そして自分の未熟さと非力さを、また思い知らされたのであった
もしあの時、野犬の牙に倒れて死にかけたとき、信頼しきってはいたが
ヴェルフがメルを連れてきてくれなければ、一体どうなったか、考えるのも恐ろしかった
ともあれ、現在フォロアは危地を脱し、港町ガルフェランに向かっていた
ガルフェランになら、今回とは違うルートでヴェルフに連れられ、フォロアは行ったことがあった
三年前、フォロアは十一才で、ようやく奴隷時代に受けた心の傷を癒やしきれた頃だった
その時のフォロアは読み書きと初等数学を覚えただけで、今のように剣が使える訳ではなかった
ほんの少しの油断が、ヴェルフとフォロアを永遠に引き離しかけた。 人さらいに捕まったのだ
その時のことは、忘れようとしても忘れられない
暗い夜道、馬車に乗せられ、周りの子供達は、恐怖と不安に駆られて泣いていた
子供達の中で比較的年長だったフォロアは、自分も泣きたいのを堪え、必死に彼らをなぐさめていた
少しして、馬車は行く手を一人の男に塞がれた
人さらい三人は馬車を降りてその男を怒鳴りつけ、一瞬後、永久に口が利けなくなった
男はヴェルフであり、その超常的な力の前に、人さらい達は即座に皆殺しにされたのだ
その時の、松明に照らされたヴェルフの目を、今でもフォロアは鮮明に思い出すことが出来る
凄まじい殺気と、妥協のない冷酷さが入り交じった、グリズリーさえ後ずさるような目だった
人さらい達は原形をとどめていなかった。 そこにあったのは、過去の姿を悟らせない肉片だった
フォロアはその時、奔騰する感情に押し流され、ヴェルフに抱きついてただ涙を流すばかりだったが
後になって考えてみれば、自分の非力さ加減に、歯噛みさえしたものだ
もし、もし強ければ、自力で脱出し、子供達だってそのまま助けられた
あの人さらい達だって、もし自分が強ければ、ヴェルフに殺されずに済んだかも知れない
そうすれば、可能性は低くとも、彼らを更正させてやる事が出来たかもしれないのだ
それから半年ほどが過ぎ、フォロアはヴェネアと言う大都市の、ヴェルフの屋敷で日を送っていた
そこにカムラと言う名の東洋の剣士が居候しており、彼からフォロアは本格的に剣を習った
ヴェルフが少々小細工を施していたが、フォロアの打ち込み方は尋常でなく
それもあって猛烈な勢いで技術を吸収し、すぐに師のカムラも舌を巻くほどの腕になった
その年の誕生日、ヴェルフがくれたプレゼントは、特注の二本の刀であった
一本は使いやすいサーベルで、大きさも重さもフォロアに丁度合っていた
もう一本は師も使っていたような、シンプルながら重く、恐ろしく鋭い、片刃の長刀だった
長刀は重く、使いこなせなかったので、今までフォロアはサーベルを愛用してきた
しかし三年近く経ち、今では技術も力も、そして戦闘経験も比べ物にならない
ひょっとしたら、今だったら長刀も使いこなせるかも知れない
案ずるより、産むが易し。 やってみる価値はありそうだった
「どうした、随分考え込んでいるな」
深刻な顔をしていたフォロアに、ヴェルフが声をかけた
普段こういう事は滅多になく、瞬時にフォロアは我に返った
「え、あ、何でもありません」
答えを無視し、何も言わずにヴェルフはフォロアの腕を掴み、袖をまくり上げた
奴隷時代についた無数の傷の中、先日の戦いで野犬にしたたか噛み付かれた、痕がくっきり残っていた
ヴェルフの不思議な力で失血死は免れたものの、また一生物の傷が一つ増える事になった訳である
「すまんな、治しきれなかったか。 許してくれ」
「気にしてません。 いっぱいある傷が一つ増えただけですし、それに自分の未熟さが・・・」
それ以上は言葉にならなかった。 五才から九才の間、奴隷としてこき使われ、むち打たれ
フォロアの背中や腕には、一生物の傷が、蔓草のように、無数に絡みついている
最早傷の一つや二つ、顔にでもつかない限りどうでも良いことだった
フォロアの頬は少し紅潮していた。 ヴェルフが心配してくれたことが嬉しかったのだ
「そうか、ならいい。」
ヴェルフは手を離すと再び歩き出し、その後は町に着くまで、一度も口を開かなかった

ガルフェラン。 この国で三番目の規模を誇る港町で、現在は二番目の港町ドルクに迫ろうとしていた
この町が此程までに発展でき、今も成長しているわけは簡単で、かつ明確なことだった
新任のロード(君主)、レイナ=フォン=ストークは、比類無き有能な人物なのである
レイナは元々男爵家の次女で、政略結婚でストーク伯爵家に嫁がされた人物である
彼女は嫁いだものの、フヌケの夫に早々見切りを付け、すぐに実質的な権力を掌握した
そのままでは只の毒婦だが、レイナは卓越した手腕で伯爵家を取り仕切り
溜まっていた借金を全て返済し、法を整備し、軍を強化し、民からも信頼されていった
そしてその名を近隣に知らしめたのは、八年前に起こった、隣国との戦争である
レイナはフヌケの夫に代わって軍を率いて陣頭に立ち、その颯爽とした姿は周囲を驚かせた
実戦でもレイナは数倍の敵を六度に渡って撃破し、鬼神の如き働きを見せた
おかげで故国は大勝利を収め、レイナは旧領に加え、六つの町を与えられ、ロードとして赴任した
レイナは陸戦に加え、海戦でも有能だった
この辺りで暴れていた海賊組織を、一つも残さず叩きつぶしたのは、紛れもなくレイナの力だった
海賊というと楽しげなイメージを持つかも知れないが、史実をひもとけば、そんな物は吹き飛ぶはずだ
彼らは人類最悪の殺人強盗集団と言い切って構わない、残忍な連中である
例えば山賊なら、住民から根こそぎ略奪したり、考え為しに火を付けたりすることはない
理由は根こそぎ奪ってしまうと次からは奪う物がなくなるため、或る程度の手加減が必要だからだ
だが海賊の場合、土地に縛られず、船を操って何処にでも行けるため、手加減する必要がない
某国の軍隊が五十年前、中国で展開した三光作戦。 殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす
その先駆者は彼らであり、彼らは欲望のままに、殺戮と略奪を繰り返すのだ
レイナの組織した強力な海軍は、近隣の海賊を壊滅させ、貿易船の安全を保障した
結果、町には貿易船が無数に訪れ、貿易の中継地となり、必然的に人々が集まり繁栄する土台が出来た
その莫大な利益は税という濾紙を通って、レイナの懐にそのまま入ってきた
それを自らだけで貪らず、町の発展のために惜しげもなく投入したため、町は空前の発展を見せていた
レイナは腐敗とも無縁な人物で、彼女の強力な支配の元、今や繁栄は永遠に思えた

数日前、ヴェルフに連れられ、フォロアが訪れたレムリアードとは、桁違いの都市規模だった
人口は八千に迫り、すでに城壁は形だけとなって、その外に新しい町が広がっている
旧城壁は城のみの守りに規模を縮小され、そして町の外郭に、急ピッチで新しい城壁が作られている
規模に対して、畑は極めて少量しかなかった
レイナの指示により、作物は別の町から流入させられ、此処では元々の住民以外作っていないのだ
その分面積は広くとることが出来、その余りには商店や家屋が建つ。 この方が、効率は極めて良い
ほんの少し離れているだけなのに、旧態依然で退歩的なレムリアードとは、何から何までが違った
瞳の色も、髪の色も、全てが千差万別で、肌こそ白が中心だったが、開放的な社会だった
ヴェルフも前のように難癖を付けられることもなく、通行証を見せ、すんなり門を通ることが出来た
「随分広くなりましたね、前とは別の町みたいです」
町は綺麗に整備され、家々のレンガも新しく、石畳も清潔で、道の脇には下水が掘られていた
その美しい町並みに一頻りフォロアは感動し、ヴェルフ達がさっさと先に行っていることに気付き
慌てて後を追いかけた、道を知っているとはいえ、置いて行かれるのは嫌な物だ
最もこういう事は、最近になりヴェルフが信頼してくれるようになってから、度々起こるようになった
決して元々こういう態度をとられているのではなく、ヴェルフは安全を承知でからかっているのだ
未だ朝だというのに、町は活気に満ち、そして不潔な豚もいなかった
町の所々に見られる警備兵達も、皆仕事にやりがいと誇りを持っているようであり
横柄さと怠惰さは欠片もない、教育が徹底しているのかもしれなかった
ふとヴェルフがメルの方を見ると、メルは視線を固定して、何かを見つめていた
視線の先にいたのは目つきの悪い男達で、路地裏で鼠のように群れていた
どの男も異様に筋骨逞しく、只のゴロツキ等でないのは明らかだった
無駄なく引き締まった肉体は海の男特有の物で、何らかの訓練を受けているのかもしれない
真っ赤な舌で唇を嘗め回し、メルが小さく呟いた
その目には幼子とは思えない、貪欲なまでの、食欲の輝きがあった
「美味しそう・・・・食べでがありそう」
「止めておけ、この間喰ったばかりだろう。 食べ過ぎると太るぞ」
残念に思ったとしても、メルは表情に出さなかった
ヴェルフはその頭を撫でると、馬を促して、メインストリートを北上していった

走ってヴェルフを追っていったフォロアは、通りがけに走ってきた少年にぶつかり
その少年はものの見事に転倒し、石畳にはねとばされた
「なにすんだよ、ねーちゃん!」
少年は少しだけ驚きを瞳に現し、フォロアを見上げて、一瞬置いて叫んだ
すれ違うフリをしてタックルを喰らわしたのに、転んだのは自分だったのが、不思議だったのだ
「大丈夫ですか? 結構派手に転んじゃいましたね」
にこやかに微笑むと、フォロアは手をさしのべて、少年を起きあがらせた
少年は赤毛で背が低く、フォロアより二、三歳は年下なようだった
「それと、これは返してもらいます」
少年は、今度は素直に驚いた。 すったはずの財布が、フォロアの右手にあったからだ
少年のスリは早業だったが、フォロアの腕はそれ以上であった
すられた財布を、本職の少年が気付きもしない早業ですりかえしたのである
フォロアの顔がひきつった、置いてきぼりになっていた事を、思い出したからだ
「いけない、おいてかれちゃったわ!」
動揺して立ち上がると、呆然とする少年を残して、フォロアはヴェルフを追って走り始めた
一人その場に残された少年は、その余りの早さに、呆れて呟いた
「はえ・・・あのねーちゃん、何者なんだ?・・・・・・」

フォロアがヴェルフに追いついた頃、丁度目的地の教会が見えてきた所であった
この時代、教会は民衆から高利貸しの如く金品を巻き上げ、権力者とつるんで暴利を貪っているものだ
そしてそのありもしない権力の正当性を民に示すため、魔女裁判などと言う愚行を繰り返し
民衆に迷信と排他性の病原菌をばらまき、精神的に奴隷化しているのである
だからこそ普通、教会は町の規模に比例して大きくなる
しかし目の前の教会にそんな様子はなく、町の繁栄に反して質素だった
「変わってないな・・・此処だけは。」
感慨深げなヴェルフの言葉には、良い意味での、変わっていないという言葉が含まれていた
何十年も変わらない此処が、もしこの数年で肥大化し豪華になっていたら、ヴェルフは落胆しただろう
質素な木のドアは、だが綺麗に掃除され、埃一つついていなかった
例え質素であってもこの教会は、決して畏怖の対象でなく、むしろ親愛の対象なのである
「レイフォード! ワシだ! ヴェルフだ!」
二回ノックした後、ヴェルフは会話する程度の声で言い、一分後、音量を倍にして繰り返した
その直後にドアは開いた。 出てきた男は穏和な目をした、だが屈強な体つきの神父だった
「久しぶりです、ヴェルフ師」
「その呼び方は落ち着かんな、ヴェルフでも良いと言っているだろう」
神父は、この職業をする者の中で唯一人、この強大な男ヴェルフに認められた人物
その名を、レイフォード、テッセンと言った
2,理想と現実

教会は質素と言っても民家数軒分の広さは軽くあり、その中にレイフォードと見習い神父が四人
あと何人かの協会関係者と、隣の孤児院の関係者が、住み込みで暮らしていた
何処の教会でもそうだが、此処も冷たい石造りで
礼拝堂には例の如く、十字架とそれに架けられたキリストの像があった
偶像崇拝を禁止しているキリスト教なのに、こんな物がある理由は、過去に遡れば判明する
現在この辺り一帯は、キリスト教が完全に支配しているが、昔は土着の地母神や精霊神が信仰され
キリスト教は後から入ってきた、いわば余所者であった
宣教師達はキリスト教を広めるため、有りとあらゆる手段を選ばず、結果その行為は詐欺に近くなった
様々な話をでっち上げ、土着の神に対するエホヴァ(キリスト教の唯一神)の優位性をアピールし
美しく造ったキリスト像やマリア像を見せる事により、土着の神に比べて優れた「美」をアピールした
キリスト教信者が相対的多数になると、今度は力ずくの布教が開始された
土着の神は「魔神」等と称され、それを信仰する者は悪魔を信じる者とされ、弾圧され
そして次々と、歴史の闇に葬られ、存在すら許されず、消滅していったのだった
もっともこれは仏教や儒教が他の宗教、思想を淘汰するときにも使われた手法であり
キリスト教のオリジナルではないのだが、だがキリスト教のやり口は他に比べても極めて悪辣だった
結局気付いた時には、十字架やマリア像は教会のシンボルとして、必要不可欠になっていた
かってヴェルフがそれをインチキシンボルと称したが、その理由はこういう事だったのである
奥の客間に通されたヴェルフは、少し話をすると、荷物を置いて宿を探しに行ってしまった
フォロアとメルは後に残されたが、かって知ったる空間だったので、緊張はしなかった
メルは出された水を、静かに延々と、ちびちびと飲んでいた
それを横目で見ながら、フォロアは口を開いた
「レイフォードさん、元気そうで良かったです」
「いや、フォロアさん、貴方も。 少し見ない内に、随分大人っぽくなりましたね」
「え・・・そんな事・・・・・ないです」
フォロアは赤くなってうつむいたが、これは世辞でも社交辞令でもなかった
現にフォロアはここ三年で軽く十p以上も背が伸び、身体からも顔からも幼さが消え始めている
一方レイフォードも、五十二才という高齢の割には健康で、壮健と言ってよかった
レイフォードは微笑んだが、急にまじめな顔になり、身を乗り出した
「ところで、先日レムリアードで何か騒ぎがあったようですが、あれはヴェルフ師の仕業ですか?」
フォロアは黙り込んだ、そうせざるを得なかった。 それを見て、レイフォードは溜息をついた
ロードの息子と神父が消えれば、あちこちに噂が流れるのは当然だった
もっともうるさくなれば、ヴェルフは力ずくで噂を押さえ込み、揉み消すことだろう
「師は、相変わらずですね・・・」
レイフォードは溜息をつき、フォロアは膝の上で拳を強く握った
ヴェルフは強大な力を持ち、それを行使することを全く躊躇わない男だった
彼を本気で怒らせたら、この辺り一帯の文明が痕跡も残さず消滅させられる可能性もある
「私はこの間五十を過ぎて、後は老いて行くばかりです。
羨望は感じませんが、師はもう、三十年以上も全く変わられない・・・」
フォロアの表情に気付いて、神父は言葉を切った。 フォロアの表情は複雑だった
ヴェルフと過去からつきあっている者への羨望と、その曝された謎の一端に触れた戸惑い
周りを見ても、メル以外誰もいなかった。 気配を探っても、教会の者は皆遠くで仕事をしていた
フォロアは思い切って、前々からの質問を、レイフォードに試みた
「レイフォードさん! ・・・・ヴェルフ様は、一体・・・・」
「よお、楽しく話し込んでいるようだな」
フォロアが顔を上げると、そこには腕を組んだヴェルフがいた
口は笑っていたが、その目は、決して笑ってなどいなかった

夜になった頃、フォロアとメルは宿に引き上げ、ヴェルフは未だ教会でレイフォードと話し込んでいた
ヴェルフは思い出すと懐から何やら紙をとりだし、レイフォードの方に投げてよこした
それは丸められた紙で、何かびっしりかき込まれ、そして印が押されていた
「これは・・・」
文面に目を通しながら、穏やかならぬ表情でレイフォードが聞く
その印は教皇の公認を示す物であり、レイフォードの反応を楽しみながらヴェルフは言った
「しゅくゆう状、通称免罪符。 これさえ買えば、どんな人間も罪が許され天国へいけるそうだ
ちなみにキャッチフレーズは、「金貨がチャリンと鳴れば、貴方の魂は天国行き」
つまりワシも、天国とやらにいけるわけだ。 嬉しすぎて涙が出るね」
紙を持つレイフォードの手は、小刻みに震えていた
中央教会の腐敗は実際にその身で味わってきたが、此処までの事をするとは想像を絶していた
「拝金主義自体が、別に悪いとは思わん。 気に食わないのは、民衆を奴隷化した挙げ句
金までむしろうって言う、その浅ましい根性だ
・・・奴らの薄汚い欲望に限界はないようだな、レイフォード」
レイフォードには答えられなかった、民衆を救うべき教会が、彼らを奴隷化し
詐欺同然の手段で金をむしり取っているのは、彼には辛かった
宗教などと言う物は、口で平等や博愛を語りながら、実際には常に権力者とつるみ
民衆を精神的に奴隷化支配する体質を、その発生以来一貫して持ち続けている
隣人愛、盗みの禁止、平等主義、殺人の禁止、学問への愛、戦争への反対。
いずれもが何らかの宗教、或いは思想の謳い文句である
しかし実際に、宗教家共が行ってきたことはどうか
常に人を差別し、民衆から搾取し、別の考えを持つ者を地上から抹殺し、或いは弾圧し、暗殺する
そして戦争によって他人の土地を侵略し、金品を強奪し、住民を虐殺する
ヴェルフは常に宗教を嫌い、憎んできた。
それを純粋に信ずる者よりも、むしろそれを自分に都合良く利用する連中をである
「思い出すだろ、お前が罪を償うために、神父になった頃を」
ヴェルフは井戸で冷やして置いたミルクを、一息にあおった
レイフォードは目をつぶると、忌々しい紙を破り捨て、暖炉にくべたのだった

今から二十年ほど前、一人の軍人が退役した。 その男の名を、レイフォード=テッセンと言った
レイフォードは農民の出身であり、生涯その身分を続ける事を望んでいたが、そうもいかなかった
彼が二十才の時、運命が彼の背を突き飛ばしたのである
彼の力を知る友人がいた、彼はその友人に、どうしても軍人になってくれと懇願され
土下座されて頼み込まれたのだ、人の良い彼は断りきれなかった
やむなく彼は軍人となり、友人の参謀として戦場を駆け回った
五年が過ぎた頃にはその名声はとどろき、将軍として一軍の指揮を任されていた
続けて二年もしないうちに、彼は近隣から「赤い騎士」と呼ばれ、怖れられるようになった
既に騎兵は時代遅れに成りつつあったが、彼の部隊は完全に負け知らずだったからだ
彼が軍の先頭に立ち、愛馬を駆って敵陣に突っ込むたび、味方は奮い立ち
同時に返り血で真っ赤に染まるレイフォードを見て、敵は逃げ出すのだった
やがて彼の友は死んだ。 戦死したのではなく病死だった
それを知ると、レイフォードは軍を辞め、教会に入ることになった
退役軍人の神父というのは、珍しいわけではない
プロテスタントの伸張に対抗するため、カトリックが創った戦闘集団、イエズス会
その創始者の一人で、日本でも有名なフランシスコ=ザビエルも退役軍人である
レイフォードの例は、特異でも異常でも無かった
彼は軍人時代に犯した数々の罪を償うつもりで教会に入った、汚れた精神を浄化するつもりだった
だがその内部にふれ、現実をかいま見て、呆然とするばかりであった
如何に修行したのではなく、教会での階級は金で売買されるのだ
領主同様、神父達は民から金を搾り取り、それは出世のために使われる
協会内部では男色がはびこり、金品が無くとも顔が良い者は、高位の僧侶に身体を差し出した
同期の連中の内、一体何人がそれで出世したことか
金に任せて昼間から酒を飲み、女を抱く神父も多い。 そこは正に、教会が言う魔界のような所だった
欲望と金銭が、一から十まで、全てを支配しているのだ
挙げ句、奴隷商人や武器商人から賄賂を受け取り、その行動を見逃し、共に暴利を貪る
そして得た金を上納金として、高位の神父に貢ぐのであった
レイフォードは連中と一緒になれなかった、絶望し、信仰を捨てかけた
そんな彼に救いをさしのべたのが、彼が農民だった頃から付き合いのあるヴェルフだった
ヴェルフはコネを生かして地方へレイフォードを飛ばし、中央教会から一旦隔離し、言った
「ここなら中央の腐敗とは関係ない。 お前の考え次第で、この教会はどうにでも染まる
中央に戻りたければ、搾取して貢げ、或いは酒と女に溺れるのも良い」
レイフォードは、その気がないと言い、それを聞いて頷き、ヴェルフは続けた
「では民を愛せ。 ワシはキリスト教に限らず、宗教なんてもんは大嫌いだが
あれの本来の意義は、人を愛し救うことだったよな
ワシはここで、そんな物は幻想だと断言する。 お前さんはそれを否定できるよう、努力するんだな」

教会は寂れていて、民も先代の、欲望の権化の様な神父のせいで、教会に不信感を抱いていた
やり甲斐のある仕事だった。 レイフォードは誠心誠意を持って、その信用を完全に取り戻した
十年近くもかかったが、今では迷いも吹っ切れ、信仰に生きることが出来るのだった
ヴェルフは、レイフォードに見所を感じていた
それは人間的魅力と言うより、むしろ自分と同じ臭い、つまり共通項に近かった
住む世界は違っても、それが故、ヴェルフとレイフォードは友情を保つことが出来るのだった
それからというもの、ヴェルフは数年おきに、世界を回るついでに、レイフォードの元を訪れている
その過程でメルを預けられ、フォロアを拾い、今では彼女らは、ヴェルフの大事な家族であった

レイフォードは崇高で誇り高い男だが、教会に暮らす者全てがそうではない
フォロアは帰りの遅いヴェルフを迎えに行くため、首にマフラーを巻いて、宿を出た
外は身を切るように寒く、ちらちらと雪も降っていたが、フォロアには気にならない
奴隷時代、その頃は常に襤褸着で、更に寒い馬小屋で眠っていたものだ
ヴェルフに拾われてから、虐待を受ける事は零になったが、その時の寒さは今でも身に染みついている
それに比べれば、この程度の寒さなど、耐えるのは容易なことだった
カンテラが揺れると、こぼれる光も揺れた
暗闇に目が馴れると、辺りの静寂が、フォロアの目に入ってきた
暗闇と言っても、完全な闇ではない。 港は夜でも活動していて、灯台の光が僅かに射しているのだ
「・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。」
何か声がした、フォロアは走りながら、ちらりとそちらの方を見た
連中は気付かなかった、フォロアは走り抜けていったから、見られたとは感じなかったのだろう
「何であの人が、あんな所にいるんです?」
教会の戸を叩きながら、フォロアは小さく一人ごちた
そこにいたのは、確かロロと言う名の見習い神父で、目つきの悪い連中と、一緒に歩いていた
その中にはあの少年も含まれていて、全体として皆筋骨逞しかった
ヴェルフは迎えに来たフォロアを見て、自分が長居しすぎたことに気付き、言った
「何だ、もうこんな時間か。 レイフォード、じゃあまた明日来るからな」
「ええ、どうぞいらして下さい、待っていますよ」
ヴェルフはコートを着ながら、一週間は滞在することを付け加え、僅かに雪の降る夜道を帰っていった
帰りには、連中はもういなかった

3,螺旋階段

翌朝、日が昇り、町に色彩が加えられていく中、ヴェルフは殺気に気付いて目を覚ました
その殺気は自分に向けられた物ではなかったが、外で発せられているそれは鋭く
眠りについている小鳥を驚かせ、馬をいななかせていた
窓を静かに開けると、そこにいたのは、サーベルでは無く長刀を持ち、目をつぶったフォロアだった
その直ぐ前には台に乗せられた、古びて錆び付いたプレートメイル(板金鎧)があった
「ほう、昨日宿の主人に譲り受けた奴だな」
窓の縁にもたれ掛かり、ヴェルフは小さく欠伸をした
興味深げにフォロアに視線を戻すと、目を開けたフォロアが、疾風の如く動いた
「・・・・は!」
気合い一閃、錆び付いたと言っても鋼鉄製の鎧を、瞬きするほどの間に、剣が切り裂いていた
剣は鎧の左肩から右脇腹に通り過ぎ、斬ったときの感触は、紙を斬ったも同じだった
凄まじい切れ味と同時に、圧倒的な一体感をフォロアは感じていた
学んだ剣術は、この剣の力を最大限に生かす物だと、本能的に悟っていた
同時に危うい感情も産まれていた、剣がフォロアを誘惑していたのだ
剣はフォロアの力を覚醒させると同時に、その精神に甘いささやき声を投げかけた
「どうです、貴方は無敵です! 
私を使えば何でも出来ます、素晴らしい斬り味だって試せます
もう一度、斬りたいでしょう、人を斬りたいでしょう? その感触を味わいたいでしょう?
いいでしょう、斬りなさい、人を斬りなさい、私を血で赤く染めて下さい
さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ早く!」
何人の者が、この誘惑に屈し、殺人狂になり、そして剣の奴隷になったことか
しかしフォロアは、その誘惑をはねのけた。
甘い人生を送ってきたわけでも無ければ、それ以上の凄まじい力を見たこともあるフォロアだった
やがてフォロアは、拍手を聞いて振り向いた、そこにはヴェルフがいた
「その刀の名は細雪(ササメユキ)だ。 今まで使わなかった分、これからは大事にしてやるんだぞ」
「あ・・・見ていらしたのですか・・・恥ずかしいです」
フォロアは真っ赤になってうつむいた、同時に斬られた鎧の上半分が、大きな音を伴って地面に落ちた

その日、ヴェルフは所用があるとかで、メルを連れて港の方に出かけてしまった
そちらの方には、あまり大きくはないが、整備されたロード・レイナの城があった
宿にいてもする事がないので、フォロアは町の雑貨市に出かけてみた
小遣いを使う機会は滅多にないから、使うときは余計に楽しい物だ
ヴェネアの町にも豊富な物資が揃っていたが、ここにもそれなりの物資があった
食品、装飾品、芸術品、日用品、その他諸々。
殆どは露店で売られていたが、大きな店もあり、そう言う所には明らかに良い物が売られていた
少々値は張ったが、メルへの土産に赤いカチューシャを、自分用にブレスレットを、フォロアは買った
他にも幾つかのお土産品を買い、ふと横を見ると、先日の少年がいた
うろつくフリをしながら、少年は明らかに露店の物品を狙っていた
落ち着いた様子と、手慣れた物色の仕方から言って、おそらく前科があるのは間違いなかった
「何してるんです?」
フォロアは少年の肩を叩き、驚いた少年は振り向き、フォロアの顔を見て安堵の溜息をついた
「何だ、昨日のねーちゃんか。 何しようと、俺の勝手だろ」
「盗みはいけないです。 見たところ、そんなに要領がいいとも思えません
その痣、失敗して殴られたんですね」
少年の右目の下には青痣が出来ていた、どうやらフォロアの言葉は図星だったようだ
痣に手をやり、少年はうつむいた。 少年はサムと名乗った

露店で軽食を買い、入港する船を見ながら、波止場に腰掛けて二人は昼食にした
足のすぐ下は冷たい海で、冷たい波が行進し、壁にぶつかり、砕けて跳ねている
冬でもそれなりに入港する船はある、今入ってきた商船は剣を三本重ねたマークを付けた帆を張り
刺々しいまでに厳重に武装し、ものものしいまでの威容を見せていた
「・・・ラクレス家の、海賊泣かせの商船・・・・・」
少年が軽食を食べながら呟いた、フォロアもそれは知っていた
何しろヴェルフがバックにいる大きな商家で、ヴェネアにいた時は関係者がよく家を訪れていたからだ
ラクレス家に手を出して、生き残った海賊はいない。 その噂は真実だった
その武装は強力で、軍艦に護衛されることも珍しくなく、半端な戦力では歯が立たない
何より手を出すという事は、ヴェルフを敵に回すという事で、その時点で滅亡は決定的だ
「詳しいですね、何処で知ったんですか?」
フォロアの問いに、少年は答えなかった
しばらくして軽食を平らげると、言葉少なく礼を言い、少年は雑踏に消えていった

その後、しばらく町をぶらついて、フォロアが宿に戻る気になった頃、もう陽は落ちかけていた
背負った細雪の重さが心地よかった、丁度良い運動にもなったし、良い一日だった
そう考えながら、宿に戻ろうとしたフォロアの足が止まった
「よおねえちゃん、いい剣じゃねえか、ちょっと俺達にも見せてくれよ」
見るからにゴロツキという存在だった、数は三人で、フォロアの周りには誰もいなかった
人気のない所でこういう事をする以上、只で済ます気はほぼ確実にあるまい
手にはナイフをちらつかせているし、人さらいに売り飛ばす気かもしれない
彼らにとって不幸なことに、この時フォロアはかなり好戦的になっていた
細雪を使ってみたいという感情が、心の底にあったのかもしれない
「ええ、いいです」
微笑むとフォロアは剣を背中から外し、鞘の部分を腰に深く当て、居合いと呼ばれる技の構えをとった
次の瞬間風が鳴り、それ以上の音で、鞘が大きく鳴った
そして先頭の男が持っていたナイフが柄の部分を残して吹き飛び、男の顔がひきつった
「・・・・ひ!?」
「早すぎました? 何なら今度は身体で味わいます?」
視認すら出来ないほどの早さで剣が一閃し、ナイフを吹き飛ばしたのである
それを悟り、音程のずれた悲鳴を残して、ゴロツキ共は逃げていった
フォロアは非常に気持ちよかったが、何か突っかかる物を感じていた
そしてその正体に気付いて、愕然となった
「・・・バカみたい。 私、何調子に乗ってるんです」
呟くと、フォロアは細雪を背に、宿へ歩き出した
自分の未熟さを改めて思い知らされ、情けなさに涙が出そうだった
宿に戻るとすぐに細雪をしまい、代わりにサーベルを取り出した
「おや、どうした、浮気か? ふはははははは、細雪が泣くぞ」
先に帰っていたヴェルフが、それを見てからかった。 大体状況はヴェルフにも分かった
フォロアは適当にごまかすと、ベッドに潜り込み、布団を頭から被って無理矢理眠りについた

フォロアと別れてから、サムは兄に呼ばれて、「集会」に顔を出していた
ロード・レイナは優れた人物で、彼らのようないわゆるストリートチルドレンの事も気遣い
孤児院に予算を削ってくれたり、食事を恵んでくれたりする先進的な人物である
おかげで孤児院は整備され、レイフォード神父の努力もあり、路上生活孤児は目立って減少している
サムは孤児ではあるが、だが家はあるので、孤児院には入れない
ロックスという男と共に、町外れの廃屋でサムは暮らしており、今日はロックスの仲間の集会なのだ
彼らは皆逞しく、明らかに只のゴロツキではなかった
見習い神父のロロが加わると、「集会」は始まった
それは穏やかならぬ話だった。 彼らはレイナに壊滅させられた海賊組織の生き残りであり
復讐のため、レイナの暗殺を企んでいたのだ
サムは、自分を兄代わりになって育ててくれた、ロックスへの恩義も感じていたが
ここ数年で急速に町がよくなっているのも、敏感に感じている
ましてや、ロロには好感を持てない
奴はどさくさに紛れてレイフォードを殺すことを企み、協力を惜しまなかったが
その理由は、レイフォードが、人口が折角増えたのに、生活できるだけの税しか取らないからだった
人口が増えたのだから、税率を上げればそれこそ大儲けで、中央教会に上納金も納められるのに
彼にとっては理解できないことに、レイフォードは却って税率を下げたのだ
ロロにとって、レイフォードは邪魔だった
ロロは先代神父の腰巾着で、前のような酒と女に囲まれた生活を、望んでいたのだった
その程度のことは、サム少年にも簡単に洞察できた
ロックスにその事を相談したが、情報源を切り捨てられないと、一蹴されるばかりであった
何かが間違っている事を、サム少年は感じていた、良くなっている町を元に戻してどうなるというのだ
しかしロックスに聞かされた、レイナの「汚いだまし討ち」のことも覚えていたから
サム少年は理性と感情の板挟みになり、悩むばかりだった
4,神父と君主

それから二日が過ぎ、表面上は何一つ変化無く、時間は過ぎていった
ヴェルフはレイフォードと語らい、或いは港に出かけ、何やら行っているようだったが
一体何を具体的にしているのか、一切明かそうとはしなかった
フォロアは暫く落ち込んでいたが、やがて一念発起し、素振りに打ち込み始めた
殺気と気合いを込め、提供された教会の裏庭でフォロアは剣を振り、その額からは汗が球となり飛んだ
その姿を窓から見つつ、ヴェルフはレイフォードと茶を啜り、頬杖を突いて話をしていた
レイフォードは元軍人であり、その剣技も超一流だったから、覚醒したフォロアの実力が良く分かった
「見事な物です。 もうあの様子では、実戦も経験していますね」
「ああ。 先日は野犬の大群と戦ってな、半殺しにされて手当が大変だったよ」
それが初戦だったわけではない、初戦は二年前、旅先でのことだった
相手はどうということのないチンピラで、人さらいの一味であった
その時まだ技術と経験のバランスが取れていなかったフォロアは、一刀のもとに相手を殺してしまった
「その後一週間、水も食い物も受け付けなくて心配した。
あの娘、心はそれなりに強靱なのだが、妙な所で脆弱で、ワシも時々分からなくなる」
「人間とはそう言う物です。 ヴェルフ師、貴方だって、それに私だってそうですよ」
それには答えずヴェルフは視線を移し、来客を告げに着た男を睨み付けた、それはロロだった
ロロは気迫に押されて後ずさり、ヴェルフは鼻で笑って視線をずらした
そして席を立ち、宿に帰ろうとしたヴェルフは、レイフォードに呼び止められた
「いや、ヴェルフ師、今日の客は貴方にも会って欲しい方です」

その人物は動きやすい服装に身を包み、何人かの屈強な護衛を連れた
顔の向かい傷が強烈な印象を与える、活動的な短髪の美女であった、年齢は三十前後だろう
スカートははかず、実利を優先して、長ズボンをはいている
「紹介します、此方はヴェルフ=コールマン、私の師です、ロード・レイナ。」
「そうか、貴方の噂は常々、そこのレイフォード神父から聞いている
私はレイナ=フォン=ストーク、以後よろしく頼む」
声には圧倒的な自信と迫力、それらに上乗せされたカリスマが満ち満ちていた
ヴェルフは名乗りながら、この人物が英雄の名を冠するに相応しい人物だと悟った
こういう人物には今まで何人か会ったが、いずれも常人では届き得ない力を持ち
根元的に常人とは違う、いわば超人的人物と言って過言無い
素振りを終えたフォロアが汗を拭きながら部屋に入ってきて、レイナに気付き、慌てて跪き、礼をした
今日のフォロアは修練のため半ズボンにシャツを着て、男の子のような服装をしていた
かなりきついトレーニングの後だったから、冬にも関わらず、それでもぐっしょりと汗をかいていた
早く着替えないと風邪を引くのは、ほぼ確実に疑いなかった
気を付けねば分からなかったが、上腕部や太股には、無数の鞭の痕が、蔓草のように絡んでいる
ロード・レイナは興味深げにその身体を、視線で嘗め回し、護衛を呼んで何か耳打ちした
そしてヴェルフに振り返ると、一つの提案をした
「先程から見せてもらったが、その娘の剣、なかなかに興味深い
真剣は使わなくて良いから、私の護衛と手合わせ願えぬかな」
「ワシはどうでもいいが、フォロア、お前はどうしたい?」
「あ・・・あの・・・・」
フォロアも、レイナの強烈なカリスマは感じ取っていた
やがて決然と顔を上げ、フォロアはやります、と大きな声で答えた

戦うことになった護衛は三人。 それぞれ剣術、弓術、馬術、森林戦闘術や平地での戦闘訓練も受け
他にも様々な戦闘技術を習得した、レイナの軍二千から選び抜かれた精鋭であった
二千と言っても数々の戦闘で鍛えられた、この国最強の軍隊であり、更にその中の精鋭なのだ
レイナは驚くべき提案をした、三対一で勝負して欲しいと言ったのだ
訓練着から平服に着替えていたフォロアも驚いたが、兵士達は更に驚いた
「レイナ様! 我々に三人掛かりで、あの娘と戦えと?」
「お前達、娘と言って侮っているが、あの娘より若くない私に、三人掛かりでも勝てぬではないか
その程度の腕しかない分際で、偉そうに物を申すな!」
その一喝は迫力充分であり、兵士達は一瞬で押し黙った
しかしその瞳には、若干の不満が見え隠れしていた
事実レイナは圧倒的な剣術の使い手で、普通の兵士の一個小隊くらいなら
一人で軽々とあしらえる程の、レイフォードにも迫る、免許皆伝と言って良い実力を持っていた
だからこそその一喝には迫力があり、説得力にも満ちていたのであった
「で、どういう風に勝負を判定するのです?」
レイフォードの問いに、ヴェルフが即座に提案した
「当人達に判断させるのが一番だろう。 さあ、行けフォロア」
ヴェルフがけしかけると同時に、三対一の勝負は開始された

試合は五分ほどで終わった、勝負は誰の目にも明らかだった
兵士達の木剣は一度としてフォロアに触れられなかったが、兵士達の全身は今や痣だらけだった
最初は加減していたフォロアだったが、疲労は隠せず、徐々に加減が出来なくなっていったのだ
兵士達は、やがてフォロアの疲労に気付き、その力が実力ですらない事に戦慄し、敗北を宣言した
勝ったというのに、フォロアの表情は暗かった
未だ自分が如何に未熟か、そしてその弱さを思い知ったからだった
フォロアの致命的な弱点は、生来的に、極端に打たれ弱くそして比較的疲れやすいことだった
相手がそれに気付いたことを、勝ちを譲られたことを、フォロアは敏感に悟っていた
「良くやった、大した物だ。 お前の腕はもう十分に一人前だぞ」
ヴェルフに頭を撫でられてフォロアは幸せだったが、だがしかし、その心は満ち足りなかった
一人前では駄目なのだ。 ヴェルフの力は、そんな次元を遥かに超越しきった物だからだ
ヴェルフに認めてもらい、そして自分の考えを分かってもらうには、まだまだ一人前では足りないのだ
そんなフォロアを、レイナは先以上の興味を持って見つめていたのだった

暫く話をして、やがてロード・レイナは城に戻っていった
その颯爽たる騎乗姿を見送りながら、ヴェルフは言った
「殺させるには惜しいな、のう、レイフォード」
「ヴェルフ師、それは当然ですが、出来るだけ穏便に事を済ませて下さい」
レイフォードは真剣な眼差しで答えた、彼はヴェルフが来る前から、陰謀計画を知っていたのである
本来ヴェルフが次に来るのは二年後だったのだが、わざわざ手紙まで出し
早く来るよう催促したのも、これに対する為だった
レイフォードは、密告などと言う行動は好まなかったし
レイナにしても、特定の人物を特別扱いするのは、更に好まなかったから、伝える手段はなかった
ここ数日来、ヴェルフは様々な情報源に、様々に触手を伸ばし、情報をかき集めていた
そしてほぼ大体、海賊共の残党が企んでいる作戦の詳細を、掴むことに成功したのだ
現在ロード・レイナの支配する領地は、旧ストーク伯爵領を加え、十一の町、二十四の村に及び
それらの合計人口は、四万六百二十二人に達する
その各所で、海賊共は土着の山賊組織やテロを起こし、主力部隊を派遣させ
防備が手薄になった隙をついて、一気にレイナを殺すつもりなのだ
陽動作戦としては平凡な策だが、陸戦に疎い者が考えつく戦略構想ではない
ほぼ確実に、実戦経験のある陸戦指揮官が一人、彼奴らについていることだろう
「・・・それにしても、よくそこまで分かりましたね、ヴェルフ師」
「何、簡単なことだ。 奴らの一人に目星をつけ、捕まえてちょっと捻ってやった」
ヴェルフの笑みを見て、その「ちょっと捻られた」海賊が、おそらく死ぬより酷い目に遭わされ
その上で確実に殺されたであろう事を、レイフォードは悟った
「んで、仲間を裏切った挙げ句、聞いていないことまでベラベラ喋ってくれたからな
褒美にきざんで鮫の餌にしてやった。 楽に死ねて幸福だったろうよ」
「ヴェルフ師、何もそこまでしなくても・・・」
ヴェルフは、鼻を鳴らすと視線をずらした
レイフォードには言わなかったが、その男は海賊時代、子供の営利誘拐を幾度も行い
身代金だけ取って子供を殺すという外道行為を、幾度も繰り返した男だった
またそれだけではなく、村を焼き尽くし、仲間と一緒になって女子供を虐殺し、輪姦した
それこそ百回殺されても、文句を言える資格のない様な男だった
ヴェルフが監視がてらにその男と同じ酒場で、安くて不味い酒を呷っていた時
その男は意気揚々と、いかにして泣く子供を切り刻んで殺したかを、楽しそうに笑いながら話していた
その直後、店を出て路地裏に入った男は、自分でも訳が分からない内に仲間共々異様な空間に飛ばされ
そこで地獄以上の苦痛を味あわされ、殺されたのだった
不思議な手法でヴェルフは男の痛覚を鋭敏にし、様々な拷問の末情報を聞き出し
必要なくなった所で、真の姿を現したメルの餌にしたのだ
男は自分のしたことも忘れ、ひいひいと哀れっぽく悲鳴を上げて命乞いをしたが
ヴェルフは、その命乞いはお前が殺した者達にしろと突き放した
後ろでは複雑な表情で、既に疲労も回復したフォロアが、ヴェルフの話を壁にもたれて聞いていた
その話は既に、昨晩寝る前に聞かされていたから知っていた
フォロアもその男の罪は重いと思ったが、同時にヴェルフの行為はやりすぎだと感じていた
「帰るぞ、今日はなかなか良い日だった」
ヴェルフは立ち上がると、メルの待つ宿に帰っていった
フォロアはすぐ追う気にならなかった、うつむくフォロアの口から、深刻な言葉が漏れた
「レイフォードさん・・・・」
「何ですか、フォロアさん」
「私、どうすればいいんですか
・・・私の力じゃ、ヴェルフ様の事を止められません
ヴェルフ様のなさる事は、論理的に正しいのは分かっていますが、私にはやりすぎに思えてなりません
私、私・・・・・一体どうすればいいんです」
フォロアの言葉は、音量こそ小さかったが、それは実質上、心の悲痛で大きな叫びだった
レイフォードはその言葉を受け止めると、静かに言った
「貴方は無力ではありません。 出来ることはたくさんあります
自信を持ちなさい、あの兵士達は、本当に強い者達だったのですよ
ヴェルフ師を完全に力で抑えなくても、今の貴方になら、他に出来ることはあります」
顔を上げたフォロアは暫く無言だったが、やがて決然と頷き、或る約束をし、礼を言って教会を去った

町ではロード・レイナが正装に着替え、閲兵式を行っていた
先程の姿も凛々しかったが、厳しく体と心をよろった今の姿は、それにも増して凛々しく
圧倒的な威圧感と、神々しいまでのカリスマを放ち、兵士達はその姿を見、心からの忠誠を誓った
ロード・レイナの周りは分厚く兵士が囲み、その周りを更に分厚く民衆が囲んでいた
彼らは皆手を振り上げて、自らの誇りある主人であるレイナを讃え、喚声を上げていた
そんな中町に出かけたフォロアは、雑踏の中にサム少年を認め
レイナに向けられたその眼差しが、憎しみとそれ以上のあこがれに満ちているのを見て、首を傾げた
声をかけると、少年は何時ものように驚き、振り向いて安堵した
「どうしたんです、あんな怖い目で、ロード・レイナを見て」
「・・・彼奴は卑怯者だ」
ぼそりと呟いた声は、幸い周りには聞こえないようだった
フォロアはただ事でない言葉にも動揺せず、無言で少年の腕を掴み、雑踏から連れ出し、頬を張った
「滅多なことを言ってはいけません! 誰かに聞かれたらどうするんです!」
少年は真っ直ぐな瞳に見つめられ、真剣に怒られて、少なからず動揺したようだった
叩かれてヒリヒリ痛む頬を抑えながらも、文句を言うことも反撃することも出来なかった
兄代わりのロックスは、こういう母のような事をしてくれた試しが無く、初めての経験だったのだ
表情をゆるめると、フォロアは微笑んでいった、その微笑みは年齢以上に幼く見えた
「・・・何であんな立派な人が卑怯者なんです? 良ければ教えてくれませんか?」
ふと気付いて、フォロアは少年を、軽食の出店の前に連れていった

少年は波止場で、また奢られた食事を食べながら、深刻な話を始めた
それは兄代わりのロックスが、常に憎しみを込めて語っていることだった
ロード・レイナはこの地に乗り込んでくると、手始めに汚職官吏を一掃し
続いて、度々この町を襲う海賊に対処するため、様々な準備を水面下で開始した
陸戦部隊しかいなかった彼女の部隊から選抜し、海戦部隊を造りだし、訓練すると同時に
何人かの専門家を高給で雇い入れ、海戦の戦術を教え込んでいった
同時に、ロックスも所属していた海賊組織を、破格の待遇で抱き込んだ
彼らからも海戦の戦術や海賊の戦術を吸収し、レイナの海軍は目に見えて強力になっていった
そして行われた海戦で、海賊連合軍は想像以上に強力だったレイナの海軍と味方の裏切りに挟撃され
死亡率88,9%と言う、全滅的な敗北を被ったのだ
海軍兵達は妻子を海賊に殺された者もおり、海賊を心の底から憎んでいたから、一切容赦しなかった
逃げ延びた海賊達も、すぐに本拠地ごと粉砕され、殆ど生き残れなかった
そしてロックスの所属していた海賊組織の幹部は、全員が戦勝パーティに招かれた
「そして・・・」
「大体見当はつきます。 お酒に痺れ薬でも入れられたんですね」
サム少年は驚いてフォロアを見たが、この程度のこと、戦略学をちょっとでも囓っている者なら
すぐに見当がつく事であり、実際にもよく使われてきた手段でもある
「幹部は全員殺されて、本拠地も焼き尽くされた。
生き残ったのは、ロックスの兄貴も入れて僅かだった・・・彼奴は卑怯者だ!」
「確かに、卑怯な事です。 でも、海賊達が今までやってきたことはどうなんです?」
フォロアの指摘は痛烈であり、少年もすぐにその意味に気付いた
ロックスの組織は大きな組織だったが、決して義賊などではなかった
他の海賊同様、殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす連中だった
戦争に卑怯も残酷も外道もない。 海賊のやり口は、それを地で行っていると言いきって良い
「戦争とはそういうものです。 だからやってはいけないんです」
「何だ、こんな所にいたのか」
振り向いたフォロアは、メルを連れたヴェルフを見て、今度は自分が驚いた
ヴェルフはむしろサム少年の方に、強烈な視線を注いでいた
フォロアにはその視線の正体が分かった。 殺意と、それ以上の興味だった
サム少年はヴェルフの顔を見ると、頭を下げて、そのまま帰っていった
走るように、逃げるように、暗い路地裏に消えていく
ヴェルフは腰に右手を当て見送っていた、その脇でメルが呟き、だが今日は舌なめずりをしなかった
「・・・美味しそう。 だけど一昨日食べたからいいや」
「ふむ、あのボーズ、海賊の残党の仲間だったな」
ヴェルフの言葉と、瞳に輝き始めた殺意を見て、フォロアは息をのんだ
このまま放置すれば、あの少年は殺されることさえなくとも、どうなるか知れたものではなかった
右手をポケットに突っ込んだヴェルフは、フォロアの表情に気付かない振りをして
銀造りの鋭く美しいナイフをとりだした、その刃を舐めると、酸味の強い唾液がついて、鈍く輝いた
その輝きは紅い夕日を反射して、フォロアの顔にも降り注いだ
血のような紅い輝きを浴びながら、フォロアは一つの決意をしていた

5,クリムゾン・ブレイド

その日から数日に渡り、レイナの領地に住む者達は、恐怖におののくこととなった
各地の山賊組織や犯罪者、レイナに追放された汚職官吏、諸々が共同し、各地でテロ行為を働いたのだ
もっとも各地の駐留軍の迅速な対応で、大事には至らず、死者も出ず、大火にもならなかった
だが住民の恐怖心を煽るには充分であり、ガルフェランには悲鳴に近い救援の要請が殺到した
そして主力部隊が、それらに応え、ガルフェランから各地に進発していったのである

「ヴェルフ様!」
宿の窓から、軍がいなくなった町をを見ていたヴェルフは、真剣なフォロアの声に振り向いた
「・・・海賊達の、行動スケジュールを教えて下さい!」
「何だ、藪から棒に。 大体は分かっているが、それを知ってどうするつもりだ」
白々しく答えたが、ヴェルフにはフォロアの言いたいことが分かっていた
現在ロード・レイナは重要な政務で町を離れられず、防備が丸裸に近いのは子供でも分かる
おそらくフォロアは自分一人で、或いはレイフォードと二人で、海賊を撃破するつもりなのだ
ヴェルフがメルと共に介入したときに起こる、大量殺戮を避けるために
「分かった分かった、教えてやるよ、好きに行動しろ
ワシはメルを連れて、これからロード・レイナを守りに行くからな」
この時点で、海賊達の勝機は皆無となった
来れば来るだけ、たとえ十万来たところで、全てが死体になるだけである
いや、或いは死体すら残らないかも知れない
まとめてヴェルフが「アビス」と呼ぶ異空間に引きずり込まれ、メルの餌になるかも知れなかった

ヴェルフが掴んだ、海賊達の行動スケジュールは、大体以下のような物だった
海賊はゴロツキや山賊を加え、その戦力は約90名
少ないが、テロにはこの程度の人数で充分である
20名はA隊として、町の周囲に放火し、残った兵の注意を引き付ける
この部隊の行動開始時間は、朝十時きっかり
最終目的は町の北にある物見櫓に火を付けることで、その火を合図にB隊とC隊が行動開始
B隊は約20名、町の各所に放火し、兵を攪乱した後C隊に合流
残りのC隊は手薄になった城を、内応している者の手引きで城門を開け、一気に攻略する
この時ロード・レイナが一番の脅威だが、それに対する何らかの策があるようだった
おそらく奴らは、決行前に幹部の一人が消えたことに、首を傾げているだろう
ヴェルフは海賊共を物色し、何人かの中から一番重要な地位にありそうな奴を選んだのだ
拉致したのは四人だったが、拷問の末、他三名がメルに貪り食われると、そいつはすぐに口を割った
べらべらと、言わなくても良いようなことにまで口を滑らし、最後に言った
「助けてくれれば仲間にしてやる、そうすればあんたもレイナが死んで混乱する町を略奪し放題だ
金だって、女だって、何だって奪い放題、殺し放題だぞ! 子供を切り刻んでも、誰も文句をいわねえ
楽しいぞ、だから頼む、頼むから助けてくれ!」
それを言ったのが運の尽きだった、死刑執行書に自分から承認の判を押したも同然だった
ヴェルフは無造作に手を動かすと、光の鞭が蛇のように動き、男の身体を切り刻んだ
全身から鮮血が吹きだし、あまりの苦痛に発狂した男を、メルは噛み砕いて飲み込んだ
ヴェルフは冷酷であったが、冷酷になる相手は基本的に限られていた

その日、クリムゾン・ブレイドと呼ばれる事件が起こる少し前
ガルフェランの南で、誰も気づきはしなかったが、ちょっとした事件が起こった
そこは船を隠すにはもってこいの岩場で、そこに一隻の海賊船が停泊していた
ロックスの組織が応援に呼んだ、遙か遠くの海賊組織の船だった
レイナの殺害に成功した後、それに略奪した物資を積み込み、逃げる気であったのだ
彼らは太陽の位置を見て、そろそろ出発すべきだという結論に達し、岩影から船を出した
出だしは快調だったが、その船がガルフェランに到着する事は未来永劫無かった
空から伝説の怪物ドラゴン、しかも三首の、深紅の鱗に覆われた巨大なドラゴンが飛来したのだ
それはメルの真の姿であり、少女と別の、もう一つの姿であった
メルの首を叩き、その背中に乗ったヴェルフは叫んだ
「よし、遠慮はいらん! 一匹残らず、食い尽くせ!」
ドラゴン・メルは船の甲板を踏み破って着地すると、船に数千度に達する高熱の炎を浴びせかけた
逃げ出てきた海賊は、海に飛び込むことも叶わず、メルに噛み砕かれ、飲み込まれ、喰らい尽くされた
ドラゴン・メルは筋肉が付き、歯ごたえのある旨い獲物を、じっくり味わって食べていた
船は間もなく全焼し、沈没したが、それに気付いた者は誰もいなかった

フォロアは走る、当面の目的地、レイフォードの教会に向けて
時間はないが、焦る気持ちを抑えてフォロアは走った、焦れば体力を無意味に消耗するばかりだからだ
その手にはサーベルではなく、鞘に収まった長刀細雪があった
サーベルでは屈強の海賊達に勝ち目がない、それは分かり切ったことだった
サーベルでは野犬の群を一定時間食い止めるのがやっとだったが、細雪なら話は別だ
どん・どんと大きな音を立てて、教会の戸を叩き、フォロアは叫んだ
叫ぶ間にもノックは激しく、かつ連続して続けた
「レイフォードさん! レイフォードさん! フォロアです! レイ・・・」
戸が開き、レイフォードが出てきた、その姿を見てフォロアは息をのんだ
レイフォードはサーベルを持って、軽皮鎧を着込み、いつもでは考えられないような戦気を纏っていた
今のレイフォードは神父でなく、生粋の軍人であり
そして、それに加えて超一流の剣士であり、そして冷酷な戦術家でもあった
「フォロアさん、私もヴェルフ師に聞いて、状況は知っています
どちらを片づけるか、貴方は決めてきましたか?」
「話が早くて良かったです。 私はA隊を片づけて、その後C隊をお城で迎え撃ちますっ!」
「そうですか、私はそれまでにB隊が動くようなら、彼らを片づけておきます」
答えを聞いて頷くと、フォロアは町外れに向けて走り出した
クリムゾン・ブレイドと呼ばれる事件の、これが開幕であった

既に十時を過ぎ、各地で火の手が上がり始めていた
フォロアは走りながら、すぐにその犯人を見つけることが出来た
そして、その脇に転がる警備兵の死体も。 頸動脈を斬られ、即死だっただろう
この際、事は一刻を争う、説得などしている暇はないし、大体それが成功する可能性は完全に零である
犯人である敵A隊の連中は、ゴロツキが中心の、編成を行われているようだった
任務から言って、強力な海賊中心の編成にする必要はないわけである
フォロアは、自分のやるべき事を、既に心の中で決定していた
ヴェルフが言うように、更正させようが無い悪党という者は、確かに存在する
彼らは欲望のままに金を奪い、弱者を殺し、自分の思うままに全てを蹂躙し、良心の呵責など覚えない
では何故、彼らはその様なことを行うのか
答えは一つ、彼らがなんにしろ、相手より優れた力を持ち、そして絶対的に有利な立場にいるからだ
人間という存在は、相手を上回り、力を振るう快感を覚えると、永続的にそれを続ける習性を持つ
その嘆かわしい習性は、犯罪や弱者に対する虐待という形で現れ
民族紛争や宗教戦争の際、支配者が自分を正義などと錯覚すると、時に公認さえされる事すら或る
ヴェルフはその愚行を、相手の命を絶ち切るという方法で、永久に断ち割ってきた
それは、更正しようもないゲスの人権より、弱者の人権を守ると言う意味で、論理的にも正しい
だがフォロアは、命を絶たずに、力を永久に失わせる方法を採るつもりだった
彼らが更正できないのは、弱者の立場になったことがないからであり
永久的な弱者になった時、彼らはひょっとして自分の罪と行動を理解できるかも知れないからだ
方法はかなり荒っぽくなるが、これ以外に現実的な解決策はないのであった

走りながらフォロアは抜刀し、叫びを上げつつ、油断しきった敵に襲いかかった
「やああああああっ!」
細雪が銀の軌跡を残して中空に舞い、振り向いたゴロツキが本能的に、とっさに左手を上げた
だが剣はそれを避け、ゴロツキの利き腕である右腕を、根元から切り落とした
一瞬でそれは行われ、それが故に血管は収縮し、出血量は思ったより少なかった
戦闘能力を永久に失ったゴロツキが派手な悲鳴を上げて倒れ、血を撒き散らし、地面に転がり悶絶した
その男には目もくれず、フォロアは向かってきた二人目と切り結び
僅か二合でそのゴロツキの右腕を、先の男と同じように、根元から叩き落としている
出血は少ないとは言え、返り血を浴びるには充分だった
六人目を倒したとき、フォロアは全身に鮮血を浴び
細雪は白銀の刀身を鮮紅色に染め、その人血というワインの味に酔いしれていた
ゴロツキ達は作業を中断し、宙から降って湧いたような赤い怪物の襲来に慌てふためいた
だがリーダー格の巨漢が叫ぶと気を持ち直し、相手が小娘なのを見て自信を取り戻し排除にかかった
だが排除など出来るはずもなく、次々とフォロアの持つ細雪に斬られていった
九人、十人、十一人、細雪は貪欲に血を啜り、肉と骨を斬る感触を求めた
利き腕を、或いはその腱を断ち切られ、ゴロツキ達は戦闘能力を永遠に失っていった
リーダー格が気付いた時には、既に残った部下は三人、その一人は腰を抜かして震えるばかりであった
リーダー格はゲズレと言う名前の、海賊出身の男で、剣技にも優れた優秀な戦士である
彼の身長は二メートルに迫り、全身は鍛え抜かれた筋肉の塊であった
「役立たずが! 死ね!」
巨大な刀を、ゲズレは震える男に振り下ろし、不幸な男は頭を叩きつぶされ、脳味噌を飛び散らせた
残りの二人がひきつった顔を見合わせ、フォロアに向かってきたが、一分も持たなかった
「降伏して下さい、もう勝ち目はないです」
ここで初めて、フォロアは説得を試みた
A隊の任務が完全に失敗した以上、僅かながら時間はあったからだ
だが興奮したゲズレは耳を貸さず、雄叫びを上げると、フォロアに突っかかっていった
そして強烈な一撃を、躍動する巨大な筋肉の塊から繰り出し、フォロアを砕かんとした
一撃は無情にも届かなかった、落ち着いた身のこなしで、ミリ単位で見切られたのだ
無造作に、だが鋭くかつ美しく舞った細雪が、ゲズレの右腕の腱を切断した
ゲズレは屈せず、右腕を放って置いて、ナイフを持った左腕を伸ばした、両ききだったのだ
しかしその一撃には痛みからか先程の勢いが無く、あっさりと弾き返され
空を舞う燕のように翻った細雪が、左腕の腱も容赦なく切断したのだった

クリムゾン・ブレイド、日本語に訳すと深紅の剣。
この日からフォロアはこの別名を持ち、この地に伝説として語り継がれることとなる
ここの戦場で、海賊側には一人しか死人は出なかった
それはゲズレに殺された不幸な男だけであり、残りは駆けつけた警備兵に縛り上げられたのだ
フォロアは状況を警備兵に手早く説明すると、レイフォードの加勢に向かうため走り出したのだった

一方でレイフォードは城へ走っていた、その姿にいつもの温厚さはなく、猛々しさが代わりにあった
その前を塞ぎ、展開したのは、何故か行動開始したB隊であった
既にロロが先回りし、レイフォードが教会を出たことを伝えていたのだ
B隊もゴロツキや山賊が中心の編成だったが、A隊より海賊が多く、中にはサム少年が混じっていた
「レイフォード! 今まで貴様のせいで、俺は酒も飲めず、女も抱けなかった!
それというのも、てめえが儲かる金を儲けなかったからだ! ふざけやがって!
そのたまりにたまった恨み、今はらさせてもらうからな!」
自分勝手にロロが喚き、すぐにレイフォードは答えず、サーベルを抜き放ち、そこで初めて口を開いた
「降伏しなさい、ロロ。 今なら主(唯一神の事)も許して下さるでしょう」
海賊達は大笑いし、ひとしきり笑うと剣を抜き、一斉に、レイフォードに襲いかかった
レイフォードは包囲されるような、無様な戦いをしなかった
背を向けて逃げ出すと、適当に追いつかれそうな気配を見せて、敵を港に誘導していった
海賊達は海を背にしたレイフォードをやっと包囲したが、そこでは背中をとることが不可能だった
一秒ごとに犠牲が増えていった、レイフォードがサーベルを振るうたび
ゴロツキや海賊が悲鳴を上げ、血の飛沫が宙を舞い、戦闘力が永久に奪われていく
十分もした頃、辺りには腱を切られ、指を全て失い、うずくまり、或いは海に放り込まれ
息も絶え絶えになった海賊達やゴロツキが、うめき声を上げながら転がっていた
完全に役者が違った。 最後に残ったのは、サム少年とロックスと、その後ろで震えるロロだった
サム少年は震える手でナイフをレイフォードへ向けていた、彼はレイフォードに助けられたことがあり
恐怖もさることながら、恩人に剣を向けるのがいやだったのだ
「剣を捨てなさい、すぐに警備兵が来ます、逃げられはしません」
口調は丁寧だったが、迸る殺気はグリズリーの咆吼にも似ていた
ロロは恐怖が極限に達し、失禁して意識を失った
B隊のリーダーだったロックスはレイフォードに斬りかかったが、全く勝負にならなかった
一撃で刀を持った右腕を切り落とされ、顔を蹴られて海に叩き込まれた
「う・・・・うわあああっ!」
サム少年は突っかかっていこうとしたが、それは幸運にも出来なかった
ナイフを持った手を、フォロアが掴んだのだ、片腕でもサム少年を抑えるのには充分だった
「・・・ねーちゃん」
「もう止めて下さい。 これ以上は無意味です」
フォロアの声を聞くと少年は肩を落とし、ナイフも取り落とした、心がその通りだと言っていたからだ

フォロアは元々赤茶けた服を着ていたが、今やそれは完全に、鮮やかなクリムゾンに染まっていた
血は乾きかけ、強烈な鉄臭を放っていた、顔に飛んだ血は拭き取ったが、髪はそうもいかなかった
おそらく今、自分は世界一血生臭い女の子だろうとフォロアは思い、それは真実だった
一瞬やりきれない気持ちを味わったが、すぐにそれを振り払う
自分が血に濡れることなど何でもない、それは自分が決めたことだ
それにより、より多くの犯罪者に更正のチャンスを与えると、自分で決めたのだ
自分の理論を分かってもらうためにも、ヴェルフの介入だけは避けたかった。
フォロアはレイフォードと肩を並べ、メインストリートを走っていた
敵はA隊、B隊を失ってはいたが、主力は健在で、そしてそれが城に向かっているのは確実だった
しかも今までと違い、海賊中心の強力な編成である事は疑いなく、二人の瞳は緊張に満ちていた
城が見えてきた。
未だ火の手は上がっていないが、城門の辺りで激戦が行われているのは確実なようだ

丁度その頃、城内ではロード・レイナが武装し、外に出ようとしていた
鎧を着るのを手伝わせている最中、それは突然起こった
レイナが油断した瞬間、まだ露出していた首筋にナイフが突きつけられたのだ
侍女が悲鳴を上げて後ずさり、ナイフを突きつけた小間使いは、囁くように言った
「レイナ様、死んでもらいますよ!」
「・・・その声はドゥフルだな、確か今日、お前は馬小屋の番をしていたはずだが」
ドゥフルはにやりと、卑俗な笑みを浮かべた
メイクによって別人のようになりすまし、小間使いを殺してすり替わったのだ
この男は先代ロードの時代、いわばこの町の副知事のような仕事をしていた、貪欲な汚職官吏だった
海賊とつるみ、大量の税を搾り取る先代ロードと一緒になって私腹を肥やす、汚職官吏の見本であった
レイナによって職を奪われたドゥフルは、今まで馬番となり、反省したふりをしながら
海賊との関係を続け、復讐の機会を狙っていたのだ
ドゥフルは首をはねられても不思議でないのに、命を助けてもらった恩は考えようともしなかった
部屋に武装した男が入ってきた、髭を生やした強面の男だった
既に剣を抜いていて、その剣は侍女の物らしい血にまみれていた
「ラクザラフ・・・お前もつるんでいたか」
「ええレイナ様、先代の方がやりやすかったんでね」
血刀を嘗め回し、勝ち誇ったラクザラフが言った
この男も先代の腹心で、見かけによらず能力は低く、どさくさに紛れて略奪にばかりふける男であった
もっともそれなりの知識はあり、海賊に陸戦のやり方を教え、ここまでの状況を演出できたのだ
城門は内通者によって破られたようだが、兵士達は良く支えている
レイナが前線に出れば、一気に逆転することも可能なはずだ
しかしレイナがここで死ねば、城は確実に落ち、この町の繁栄も終わる
城も町も蹂躙され、住民が再び地獄の時代を味わうのは火を見るより明らかだった
城門の方で、何かが爆発した、多分放たれた火が油樽にでも引火したのだろう
一瞬の隙をついてレイナはドゥフルのナイフを奪い、その首に突き刺した
ドゥフルは即死し、ラクザラフは怒り、剣を振るってレイナに襲いかかった
如何にレイナが強いと言っても、たかが短剣でそれと戦うのは不可能だった
ラクザラフは一応の剣の腕を持ち、その剣が正にレイナの顔面に落ちかかろうとした、その時
「間一髪でしたな、ロード・レイナ。 ふはははははははは」
非常識にも窓から現れたのはヴェルフだった、何か呟くとその右手に光の鞭が出現した
驚きに口を開けたレイナの前で鞭はラクザラフの剣に巻き付き、一瞬で粉々に締め潰した

丁度ドゥフルがレイナの首にナイフを突きつけた頃、フォロアとレイフォードが城に到着した
既に辺りには兵士の死体と、それに数は少ないが海賊の死体も転がっていた
海賊は例外なくボウガンで、兵士は例外なく剣や斧で斬り殺されていた
接近戦に持ち込まれた兵士達は不利なようだったが、良く持ち場を死守し
未だ海賊は、敵の抵抗を排除することも、館に突入することも出来ないでいた
「行きますよ!」
「はい!」
レイフォードがサーベルを抜きはなって叫び、その横で細雪を鞘から開放してフォロアも叫んだ
二つのクリムゾン・ブレイドは、殺気を撒き散らしながら海賊の軍団に突進していった
細雪が、その真っ赤に染まった身体を、右に、左に、華麗に舞わせ、風の唸りと共に歌った
それはレクイエムのようでありながら、だがレクイエムではなく
その不思議な旋律が響く度、海賊の剣が、利き腕が斬り飛ばされ、腱がえぐられた
レイフォードは厩を見つけ、戦いの中怯えてうろつく馬を見つけた
その上に飛び乗り、手綱を握ると、「赤い騎士」と呼ばれた頃の一体感が戻ってきた
正に人馬一体。 海賊達の中に馬を駆って躍り込んだレイフォードは、当たるを幸い敵を薙ぎ倒した
乱戦の中海賊達は、赤い、二匹の怪物の襲来に驚き、少なからず動揺した
相手の力量が絶倫なのは一目で分かった、フォロアもレイフォードも、一人も殺していないのだ
二人は正確無比な攻撃を振るい、海賊の戦闘力だけを、永久に奪っていくのだった
それを見て兵士達も士気を盛り返し、フォロアに負けたあの兵長達が先頭になり、総反撃を開始した
「こ・・・これは・・・・・・・どういうことだ!」
海賊達のボス、デイヴィスはあまりの事態に呆然とした
完璧な、完璧なはずの計画が、足下から音を立てて崩れていった

フォロアは既に十人以上を倒し、熱い鮮血に再び身体をぬらしていた
危惧感が無いわけではない、打たれ弱いフォロアは海賊の強烈な一撃を受けたら、只では済まない
延々と続く戦闘で、もう体力も大分消耗していた
また一人、突っかかってきた海賊の攻撃を受け流し、体勢を崩した所へ細雪を舞わせた
海賊の右腕が剣を持ったまま宙に飛び、右足から鮮血が吹きだし、彼は地面に倒れて気絶した
火を付けられた小屋が爆発した、多分油樽か何かに引火したのだろう
フォロアの後ろで巻き起こった爆発は、一瞬世界を明るくし、フォロアを影にした
更に二人を倒したフォロアに、ゆっくりとデイヴィスが歩み寄っていった、唇から呪詛が漏れた
「よくも・・・・俺の計画を!」
既に彼の周りに部下はいない、数も逆転し、士気も下がり、各所で追い詰められ絶望的に戦っている
デイヴィスは両手に剣を持ち、髪があることを除けばA隊のゲズレにそっくりだった
多分彼らは兄弟であり、デイヴィスは弟に、重要な任務であるA隊の指揮を任せたのだろう
後ろからフォロアに斬りかかっていった海賊がいた、殺気を感じながらもフォロアは動かなかった
走りがけにレイフォードが、その海賊を切り倒していった
「・・・もう降伏して下さい。 勝ち目はないです」
フォロアの言葉が引き金になった、何か意味不明の言葉をがなり
二本の巨大な刀を振るい、デイヴィスはフォロアに襲いかかった
一合、二合、三合、火花を散らして剣が斬り結ばれた
力は明らかにデイヴィスが段違いだったが、技術と早さはフォロアが桁違いに上回っていた
七合目で右手から、十一合目で左手から鮮血が吹きだし、更に通りがけに肩をえぐられ
デイヴィスは鮮血を撒き散らし、一声呻くと地面に倒れた

「おやおや、これはこれは・・・」
ヴェルフは外を見て笑った、海賊の負けがほぼ決定し、デイヴィスがフォロアに切り倒される所だった
「もしフォロアとレイフォードを殺しやがったら、あの屑野郎共
地獄に堕ちた方が、百億倍もましだったと思える様な目に遭わせてやるつもりだったが
・・・どうやらその必要はなさそうだな、結構な事よ」
その恐るべき言葉を、二人のどちらかでも死んでいたら、ヴェルフは何の躊躇いもなく実行しただろう
或る意味海賊達は、負けて幸せだったのだ
ヴェルフはレイナに剣を放った、昨日安値で買った駄剣だが、これでもレイナには充分だった
ラクザラフは新しい剣を抜いており、それは名工が鍛えた良い剣だったが、既に勝ち目はなかった
剣はすぐにレイナに叩き落とされ、ラクザラフは無様に床へ転がった
「さーてどう殺すかな。 メル、喰いたいか?」
脇にいたメルは首を横に振った、さっき十二人も食べて、もう満腹していたのだ
隙をついて剣を拾おうとして動き、間髪入れずにラクザラフが悲鳴を上げた
ヴェルフの投げたナイフが、手と床を縫いつけたからである
同時にヴェルフが手を水平に動かし、鞭が動き、ラクザラフの両目をえぐった
「全身の皮ひんむいて、塩擦り込んでやるか
それとも両腕を賽の目に切り刻んで、塩漬けにして無理矢理喰わせてやるか
或いは・・・ロード・レイナ、どうする?」
とうとうラクザラフは悲鳴を上げて泣き出した、えぐられた両目から血と涙が一緒に流れた
「ひいいい・・・・お願いだ、許して、許してくれ!
何でもします! 何でもいう事を聞きます! だから・・・・」
「じゃあ死ね、今すぐ死ね。 それが命令だ」
裏切られて不愉快だったレイナが、剣を振り下ろそうとしたとき、その手が何者かの声を受け止まった
「止めて下さい! その人には、殺す価値もありません!」
「何だフォロアか、よく無事だったな」
ヴェルフが突き放した相手は、全身に返り血を浴び、まんべんなく深紅に染まり
だが殆ど無傷であった、彼の弟子フォロアだった

6,レクイエムでない、別の唄として
全てが終わった。 海賊の残党が汚職官吏や山賊とつるんで計画していた「反乱」は失敗したのだ
戦いの日から二日後、全てが終わったのを見届け、ヴェルフ達はガルフェランを旅立った
海賊側の死者は三十名、兵士側は二十一名、捕らえられた海賊は六十名。
そのうち49名が利き腕を負傷し、二度と剣も弓も使えない身体になっていた
人知れず、海賊側は十二名の死者を追加して出していたのだが
その様な事は、誰も知らない事であり、知らなくても良い事だった
レイフォードとフォロアは、町を救った英雄として、その名を語り継がれることになった
フォロアは二年も後にそれを知り、照れくさそうに、辞退します、と言ったという
海賊に荷担した連中は全員捕まり、皆重い罰を被った
利き腕が無事だった者も、全員利き腕の腱を切られ、二度と剣を持てない身体にされた
表向きは死刑にする必要もないと判断したと発表されたが、実は裏話があった

ラクザラフの助命を懇願したフォロアは、それを容れられ、代わりに条件を出された
条件はヴェルフが何か一つ、レイナに貢ぎ物をする事であった
翌日、朝一番に城を訪れたヴェルフは、客間に通され、驚くべき提案を為された
「・・・それだけは断る」
ヴェルフは即座に拒絶した、その提案とは、即ちフォロアを譲って欲しいという事だったのだ
ロード・レイナはつれない返事を受けても、屈せずに語った
「あの子は私の護衛として、側に置きたい。 ・・・・いや、それだけではない
いずれ私は、この国を支配する。 その時あの子には、右腕として私を支えてもらいたいのだ」
今ここで、犬に餌でも放るように、大逆の言葉が投げかけられた
もし王に、或いはレイナを憎む者に知られて伝えられたら、斬首は間違いなかっただろう
この国の王はヴェルフの密かな資金援助で、ようやく国を支えている状態である
限度を超して王が無能なのだ。 誰も知らないが、知らない方が幸せだっただろう
そしてこの事もそうだが、ヴェルフは資金援助を断ち切ることを考えていた
魔女裁判のような愚行は繰り返され、国は腐敗し、官吏は堕落する一方である
これ以上の援助は、百害あって一利無し。 ヴェルフはそう結論付けていた
ロード・レイナが王になれば、この国は大分ましになるだろう
或いは、魔女裁判などと言う愚行も止むかも知れない・・・
もしフォロアが、ここに残ればどうなるか
ロード・レイナの片腕として、国を支えて民を救い、そして幸せになれるだろうか
やがてヴェルフは笑い始めた、笑い声は次第に大きくなり、部屋中に響きわたった
そして指を弾くと、異国風の服装をした青年が、突如出現した、あのグリフォンであった
もはやレイナは驚かなかった、何を見ても最早驚かない耐性が出来ていた
青年は若く見えたが、その目は若者ではなく、人生の機微を知り尽くした老人の目だった
うやうやしく青年は礼をし、ヴェルフはようやく口を開いた
「此奴の名はグルフス、ワシの弟子の一人だ。
フォロアは譲れんが、この地に留まらせるなら、此奴はフォロアの数十倍は働くぞ
お前さんの、唯一の致命的な弱点は、足下が全く見えていないことだ
今回の反乱だって、きちんと足下を見ていれば、事前に防げた物だったのだからな
此奴は政治陰謀と行政行為の達人で、そんなお前さんを足下から支えてくれるだろうよ」
レイナは図星を指されて溜息をついた、事実レイナが欲しいのは、軍人ではなかった
政治行政に深く通じ、冷酷な策を感情に流されず、正確に実行できる、有能な政治参謀だったのだ
更にもう一つ、とヴェルフは付け加えた
何処からともなく、ヴェルフは一振りの剣を取り出す
それは細雪に似て、だが断固として違う長刀で、しかし何か共通する感じがあった
「この剣は、名を紅椿(クレナイツバキ)と言う。 フォロアの細雪と対になった剣だ
此奴も細雪同様、持ち主の潜在能力を全て引き出し、殺人に駆り立てるが、お前さんなら大丈夫だろう
お前さんがこれを持てば、負ける事はまずあるまい」
レイナは言われるままに紅椿を持ってみた、確かに爆発的な力の覚醒を感じ取れた
「そいつをやるから、ワシの願いも聞いて欲しい。」
レイナが頷くと、ヴェルフは反乱加担者の処罰法と、全員の助命を提案した

レイフォードは、「赤い騎士」から、元の「優しい神父」に戻っていた
だがあの戦いぶりを目に焼き付けた兵士達は、礼拝の時、レイフォードの声を聞く度
畏怖しそして家庭でその戦いぶりを子供達に話し、それは昔話となって後々まで
語り継がれたという町の外でヴェルフはフォロアと共に、五年後の再会を約束し、
レイフォードに別れを告げた 孤児院では、サム少年が心の傷をいやしていた
戦闘の前、ロックスと何かがあったようで、二度と兄のことは語ろうとしなかった
別れの前、彼はフォロアに何か言い、即座に謝絶されていた
その少年の言葉は、ヴェルフには聞こえなかった

今度はレイナの領地を通り、ヴェルフは根拠地である、地中海の都市ヴェネアに向かっていた
これから確実に二ヶ月はかかるが、この程度の旅は短い物だ
雪がうっすらと積もり、所々地面が露出している道を、ヴェルフ達は歩いて行く
ふと道ばたで足を止め、ヴェルフは青みがかかった小石を拾った
今回はフォロアだけではなく、ヴェルフにとっても考えさせられる事件であった
フォロアはヴェルフに反抗して見せたのだ、非常にフォロアらしい方法で。
三十数年前、ヴェルフは北部の小さな村で青年だったレイフォードに出逢い
その気高い精神に触れ、興味を持ち、この大陸を去る事を止めた
そして今、只の子供だったフォロアが自分に反抗して見せ、持論をアピールして見せた
その精神はレイフォード同様気高く輝き、ヴェルフは興味を持ち、大陸を去る事を見合わせさせた
実の所、ヴェルフはレイフォードの死と共に、この大陸を去る事を考えていたのだ
腐敗の元凶である教会を全て破壊し尽くし、教皇領を更地にするというおまけつきで
ヴェルフにかかればそんな程度のこと簡単である、実際二週間もあれば充分できるだろう
しかしレイフォードとフォロアが共同して、その考えを思いとどまらせた
いずれ教会は叩き潰し、出来ればキリスト教も地上から抹殺するつもりだが
その為にとる手段を、ジェノサイド以外の方法を、ヴェルフは考え始めていた
小さくフォロアが笑った、石を見て真剣な顔をしているヴェルフが、妙におかしかったのであろうか
「何がおかしい」
「私・・・・今回非論理的なことをして、感情を理性に優先させて・・・・でも、結果が良かった
こんな事って、物語だけじゃなくって、現実にあるんですね・・・・
ヴェルフ様、私、嬉しいです」
ヴェルフは鼻を鳴らして、外見上はその言葉を否定して見せた
馬上でメルが、荷物と共に揺られながら、小さく呟いた
「認めればいいのに。 父さんてば、何十年たっても頑固ね」
メルは表情が凍結したように、笑みも何も浮かべなかった
やがてメルは、小さく満足そうにげっぷをした
この二週間ほどで随分たくさん、メルは生体維持以外に食べた、そろそろ「成長」時かも知れない
だがこの姿は何かと便利だし、熟考する必要があるなとメルは考えた
子供であれば、それもこんな小さな子供ならば、大概のことは見逃してもらえる
それに「獲物」も油断してくれやすいし、何より本性とのギャップが大きく都合がいい
メルは小さく含み笑いを漏らすと、思考を閉じて程なく睡眠に入った
ヴェルフはそんなメルを見ながらポケットに石を入れ、何か小さく呟いた
やがてレイフォードとフォロアとヴェルフの像が造られる港町を後に、彼らはヴェネアに向け歩く
空は青く澄み渡り、雲一つなく、そして鳥一匹いなかった
今では、フォロアは完全に、細雪を使いこなすことが出来るのだった


☆ あとがき 、というか感想☆
す、素晴らしい・・・・(感涙)。深き様の小説はまとまりが
あるし、奥が深い・・・・いろいろ考えさせられる話です。
今回は前回にも増してフォロアちゃんんが活躍!
彼女にはこれからも注目ですね !?
お断り◇この小説においては実際の歴史とは異なっている部分があります。
あくまでもパラレルワールドだということを忘れないで下さい
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