『 忍び寄る恐怖 』

 

人間の体には様々な命を守る機能が存在している。「痛み」それもその一つだ。
「痛み」が生じることで、人間が意識的に体の異常や危険を知る。
「痛み」がなければ、体の異常に気付かず、気付いた時=死ぬ時ということになってしまう。
だから人間はその「痛み」があることに感謝をしなければならない。しかし
現実には人間は「痛み」を恨みこそすれ、感謝などすることはない。
それは何故か。理由は簡単だ。「苦しい」からである。
「痛み」は自分を苦しめる。そんな風に、人間は考えがちなのである。

今回は、その「痛み」について考えていきたいと思う。
痛みと一言にいっても、それには色々な種類がある。頭痛、腹痛、歯痛、打撲の痛み、
傷口の痛みなどなど・・・・
またそれぞれに痛みの度合いが異なる。それぞれの特徴を考え出してみよう。
まず、頭痛。風邪の時以外に、日常的に起こる頭痛には二種類ある。
「偏頭痛」と「緊張型頭痛」である。たいていの人は自分は「偏頭痛」だと思い込んでいるが
現実には「緊張型頭痛」も多いのである。それぞれの対処法などはどうぞ自分で
研究して頂きたい。
頭痛を言葉で表すと、十人十色に違う。例えば私の場合は「ズッキンズッキン」と
微妙なリズミカルさを持っている。これがまたなんとも腹立たしい。
その他、「グワーン」や「ズキズキ」などなど個人個人で特徴的だ。
頭痛の時は、もう寝ているしかない。薬をのみ、おとなしくしていないと
ますますひどくなる。誰かにうつしてやりたいと思うが結局は痛みに翻弄される。
まさに耐える。これ一言で片づけよう。

続いては、打撲や外傷など原因を外からのものに限定し考える。
まず、あなたが今歩いていて、石につまずき膝を思いっきりコンクリートにぶつけたと
想像してみよう。その時の痛さを想像できたであろうか。
またいわゆる「弁慶の泣き所」を打ったとも想像して頂きたい。
それらの痛みは、耐えるにしてもじっとはしていられない嫌な痛さである。
とにかくぶつけたところをさすりつつ、体を前後に動かすという行動をしてしまう。
動いていないと、どうにもこうにもなりゃあしないというカンジである。
それに比べると、膝を擦り剥いた時の痛さなどはかなり楽な方だと思う。
確かに、消毒した時やお風呂に入った時などそれは酷く痛い。しかしその痛さは
実に冷静に観察できるような痛さだ。その部分のみが痛いからであろうか。

次に、歯痛について考えてみたい。虫歯で歯が痛くなると、日常生活にも支障が
出てくる。さっさと歯医者にいこう。
ところが、痛みはそれでもおさまらない。治療にも痛みがつきものなのである。
実は私の場合、歯のコーティングがはげているらしく人より歯に対する痛みを
感じやすいのだ。冷たい飲み物は用心しないと、ひどくしみる。
ましてや歯の治療など、この世で2番目に痛いしこわい・・・
歯の治療の痛みは耐えるにも耐えられない痛さなのである。神経を削られているような痛さ
とでも言ったら少しは痛さが分かって頂けるだろうか。
普通に口を開けていられる人がこの上なく羨ましい。
歯の痛みに関しては、自分のことばかり話してしまったが、許して欲しい。

そして最後は腹痛である。私はこれに日常もっとも苦しめられている。
腹の痛みというのは何故か人に不安感を与える痛みである。家ならまだしも
外出中などはどうしようもない。「ど、どうしよう・・・薬くださいなんて言えないし・・・
もっと痛くなったらしゃがむしかないのかなあ」とドキドキしてしまう。
また痛さが最高潮になった時など、誰もがしゃがみ泣き出したくなるのではないだろうか。
寝ている時には、腹を押さえ縮こまりえびのように足の先まで力が入ってしまう。
トイレに駆け込み、全てが過ぎるのを待つ。
虫垂炎の時などはどうなってしまうのだろうか。私はそれを考えただけで
恐ろしい。
出産の時などはこの100倍の痛みだともいわれる。男性はもし子供がいるなら
心から奥さんに感謝しなければならない。一生旦那さんに尽くされても損はないほど
奥さんは痛みに耐えて、出産したのであろう。

日常的に様々な痛みが潜んでいる。なんとかそれを乗り越えて生きていかなければならない
のが人間の使命である。
その「痛み」は自分の身を守る為に存在しているのである。それを忘れず、
うまく「痛み」と付き合って生活してゆくのが人生では賢明なのではないだろうか。




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